2025年4月14日月曜日

広島原子爆弾の廃墟を、1945年9月にスケッチした日本人画家をアメリカ軍海軍航空写真部隊が撮影した。(1945年9月)

       非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

                     80-G-473752 (TR-15644)アメリカ海軍省一般写真






















TR-15644

473752 September 1945

SUBJECT:

CAPTION:

JAPANESE ARTIST SKET SCETCHES RESULTS OF HIROSHIMA ATOMIC BOMB BLAST.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER, WAYNE, LT. TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR-15644

CLASSIFICATION: RELEASED


TR-15644

473752 1945年9月

件名

キャプション

広島原子爆弾の廃墟をスケッチする日本人画家。

撮影地:日本、広島

撮影者:Miller, Wayne, LT. 撮影者:ミラー、ウェイン、中尉

現地番号:TR-15644

分類:リリース


追記:45歳の高増敬三は、一発の広島原子爆弾がもたらした廃墟の中で絵筆を執った。広島市中心部の広島県立聾学校の教師であり、残された親族を探していた彼を、アメリカ軍のミラー・ウェインが撮影した。一緒にいた長男は、当時の日記には、1945年9月9日と記された。高増敬三は八丁堀のスケッチをして、その他17枚の絵が残っていた。初期に描かれた「広島原子爆弾の絵図」であった。空襲を避けるために、1945年4月に市街から約45km北の吉田町に、長男と長女と一緒に移転した。吉田町から広島原子爆弾のキノコ雲が見えて、父の高増敬三がスケッチした。彼は1923年9月1日に体験した約14万人の死者を出した東京大火災の絵巻を描いた。1945年8月14日に、高増敬三さんと2人の子どもは、自宅と学校の状況を確認するため広島市内に入り被曝した。しかし、被爆者健康手帳を取得できなかった。

2025年4月12日土曜日

第二次世界大戦の終戦後の1945年9月に、広島市で無料の輸送手段を利用して故郷へ帰るために、除隊した元日本軍兵士らが殺到した。(1945年9月)

 非公開の日本原爆被爆の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473751 (TR-15643)アメリカ海軍省一般写真














TR-15643

U.S. NAVY NO. 473751  NEG

473751 Sept.1945

SUBJECT:

CAPTION:

DISCHARGED JAPANESE SOLDIERS CROWD TRAINS AS THEY TAKE ADVANTAGE OF FREE TRANSPORTATION TO THEIR HOMES AFTER END OF WORLD WAR II IN HIROSHIMA, JAPAN.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER, WAYNE, LI. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15643

CLASSIFICATION: RELEASED



TR-15643

米国海軍 473751 NEG

473751  1945年9月

件名:

キャプション:

第二次世界大戦終結後、広島市で無料の交通手段を利用して故郷に戻るために列車に殺到する除隊した元日本軍兵士。

場所:日本・広島市

撮影者:ミラー、ウェイン、少尉。

撮影部隊による撮影)

現地番号: TR 15643

分類: 公開済み

第二次世界大戦の終戦後、広島市で無料の輸送手段を利用して故郷へ帰るために列車に殺到する除隊した元日本軍兵士。(1945年9月)

非公開の日本原爆被爆の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473750 (TR-15642)アメリカ海軍省一般写真















             TR-15642  U.S.NAVY 473750  NEG

473750  Sept.1945

SUBJECT:

CAPTION:

DISCHARGED JAPANESE SOLDIERS CROWD TRAINS A AS THEY TAKE ADVANTAGE OF FREE TRANSPORTATION TO THEIR HOMES AFTER END OF WORLD WAR II IN HIROSHIMA, JAPAN.

LOCATION:

HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15642

CLASSIFICATION: RELEASED




TR-15642 アメリカ海軍 473750 NEG

473750 1945年9月

件名:

キャプション:

第二次世界大戦終結後、広島市で無料の輸送手段を利用して故郷へ帰るために列車に殺到する除隊した元日本軍兵士。

場所:

日本・広島

撮影者: ミラー・ウェイン 少尉

撮影部隊:

現地番号: TR 15642

分類: 公開済み


2025年4月11日金曜日

第二次世界大戦の終戦後、広島市で無料の輸送手段を利用して故郷へ帰るために列車に殺到する除隊した元日本軍兵士。(1945年9月)

 非公開の日本原爆被爆の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473764 (TR-15636)アメリカ海軍省一般写真





TR-15636  U.S. NAVY 473762 NEG

473762 Sept. 1945

SUBJECT:

CAPTION:

DISCHARGED JAPANESE SOLDIERS CROWD TRAINS AS THEY TAKE ADVANTAGE OF FREE TRANSPORTATION TO THEIR HOMES AFTER END OF WORLD WAR IT IN HIROSHIMA, JAPAN.

LOCATION:HIROSHIMA JAPAN

PHOTOGRAPHER:MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO:TR 45656 

CLASSIFICATION:RELEASED



TR-45656 アメリカ海軍 473762 NEG

473762 1945年9月

件名:

キャプション:

第二次世界大戦の終戦後、広島市で無料の輸送手段を利用して故郷へ帰るために列車に殺到する除隊した元日本軍兵士。

場所:日本・広島

撮影者:ミラー、ウェイン、少尉

撮影部隊:

現地番号:TR 45656

分類:公開済み


2025年4月10日木曜日

第二次世界大戦の終戦により除隊した日本軍兵士らが、原子爆弾に被爆した広島から故郷へ向かう列車に殺到した。(1945年9月)

  非公開の日本原爆被爆の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473749 (TR-15635)アメリカ海軍省一般写真




















TR-15635 U.S. NAVY NO. NEGA

473749 L Sept.1945

SUBJECT:

CAPTION:

DEMOBILIZED JAPANESE SOLDIERS CROWD TRAINS AT HIROSHIMA ON WAY TO HOMES.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER:MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR-15635

CLASSIFICATION:RELEASED


TR-15635 アメリカ海軍番号 NEGA

473749 L 1945年9月

件名:

キャプション:

除隊した日本兵が広島で故郷へ向かう列車に殺到する。

場所:日本・広島

撮影者:ミラー、ウェイン、少尉

撮影部隊:

現地番号:TR-15635

分類:公開済み

2025年4月9日水曜日

太平洋戦争の終戦後に1945年9月に日本軍の復員兵士たちや市民らが、故郷へ帰る途中に原子爆弾の被爆地である広島で列車に群がった。

           非公開の日本原爆被爆者の写真

       マンハッタン管区(MED)海軍調査団

                   ーアメリカ海軍航空写真部隊ー

アメリカ国立公文書館 

(The National Archives College Park, Maryland)

80-G-473743 (TR-15629)アメリカ海軍省一般写真



473743 1945年9月
件名
CAPTION:
故郷へ帰る途中、広島の列車に群がる復員兵たち。
場所:広島:
日本、広島
フォトグラファー:ミラー、ウェイン、リ
ミラー、ウェイン、中尉。
撮影者:(ユニット)
ローカルHO: TR 15629
分類: リリース

473743 Sept.1945
SUBJECT:
CAPTION:
DEMOBILIZED JAPANESE SOLDIERS CROWD TRAINS AT HIROSHIMA ON WAY TO HOMES.
LOCATION:
HIROSHIMA, JAPAN
PHOTOGRAPHER:

2025年4月8日火曜日

アメリカ海軍のカメラマンが、広島原子爆弾の爆風に襲われた被爆者が銀行ビルにある病院で生活しているのを撮影した。(1945年9月)

       非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473741 (TR-15627)アメリカ海軍省一般写真



















U.S. NAVY NO. 80G 473711

COPY NEGATIVE

TR-15627

No.473741 Sept. 1945

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT

RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

BLAST VICTIMS LIVE IN For FLY-INFESTED HOSPITAL IN BANK BUILDING.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER WAYNE, LI. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO:TR 15627

CLASSIFICATION: RELEASED



U.S.NAVY NO. 80G 473711

コピーネガ

TR-15627

No.473741 1945年9月

件名

キャプション

海軍のカメラマンが広島の原爆の被害と廃墟を撮影している。

広島での原爆の惨状を撮影。

爆風に襲われた被災者は銀行ビルにある病院で生活している。

撮影地:日本、広島

フォトグラファー:Miller Wayne, Li. 

撮影:(ユニット)

ローカルナンバー:TR 15627

分類:リリース



2025年4月7日月曜日

広島原子爆弾に被爆した銀行ビルの仮設病院が、1945年9月8日に被爆者を収容している。その中で母親が床に置かれた貧しい寝床の中で眠る子供に手を差し伸べた。(1945年9月)

            非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473740 (TR-15626)アメリカ海軍省一般写真


















TR-15626

80-G-473740  Sept.1945

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

MAKESHIFT HOSPITAL IN BANK BUILDING HOUSES VICTIMS.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY UNIT)

LOCAL NO: TR 15626

CLASSIFICATION:RELEASED



TR-15626

80-G-473740 1945年9月

件名: 

写真の説明文:

海軍のカメラマンが広島での原子爆弾の被爆と廃墟を撮影した。

銀行ビルの仮設病院が、被爆者を収容している。

撮影地:日本、広島

撮影者:ミラー、ウェイン、LT. 

TAKEN BY (UNIT)

現地番号:TR-15626

分類:リリース

(追記)

広島の仮設病院で、母親が床に置かれた貧しい寝床の中で眠る子供に手を差し伸べた。

2025年4月6日日曜日

アメリカ軍の海軍カメラマンは、広島原子爆弾の被害と廃墟を撮影して、被爆者は銀行ビルの仮設病院に横たわる被爆者と廃墟を撮影した。(1945年9月)

             非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473739 (TR-15625)アメリカ海軍省一般写真




























5625
U.S. NAVY NO.
NEU
473739 Sept.1945
SUBJECT:
CAPTION:
NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

VICTIM LIES IN MAKESHIFT HOSPITAL IN BANK BUILDING.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN
PHOTOGRAPHER:MILLER, WAYNE, LI.
TAKEN BY (UNIT)
LOCAL NO:TR 15625
CLASSIFICATION:RELEASED

5625
U.S.NAVY NO.
473739 1945年9月
件名
キャプション
海軍カメラマン、広島での原爆の被害と廃墟を撮影した。

被害者は銀行ビルの仮設病院に横たわっていた。

撮影地:日本、広島
撮影者:Miller, Wayne, LT.
撮影:(ユニット)
ローカルナンバー:TR 15625
分類:リリース

2025年4月5日土曜日

広島原子爆弾の被爆者は、広島における原子爆弾による被害と廃墟の中で、仮設の病院として使用された勧業銀行ビルに居住していた。(1945年9月)

     非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473738 (TR-15624)アメリカ海軍省一般写真
























TR 15624

U.S.NAVY  No.473737

SC-473738   Sept. 1945

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

VICTIMS LIVE IN BANK F BUILDING, SERVING AS HOSPITAL.

LOCATION: HIROSHIMA JRPAN

PHOTOGRAPHER:MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15624

CLASSIFICATION: RELEASED


TR 15624

U.S.NAVY No.473738

SC-473738 1945年9月

件名

キャプション

海軍カメラマンが撮影した広島における原子爆弾による被害と廃墟であった。

広島原爆の被爆者は、仮設の病院として使用されていた勧業銀行ビルに居住していた。

撮影地:広島

撮影者:ミラー、ウェイン、LT. 

ローカルナンバー:TR 15624

分類:リリース


2025年4月4日金曜日

広島原子爆弾の被爆後の1945年9月に、看護助手が銀行ビルの間に合わせの病院の廃墟で、頭部に火傷の被爆をして布団に伏した子供に手当をして、それを母親が見守った。(1945年9月)

      非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473737 (TR-15623)アメリカ海軍省一般写真



















TR-15623

U.S.NAVY  No. 473737

SC-473737 Sept.1945.

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

NURSE'S AIDE AND MOTHER ADMINISTER AID TO VICTIM IN MAKESHIFT HOSPITAL IN BANK BUILDING.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER:MILLER, WAYNE, LT.

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15623

CLASSIFICATION RELEASED


TR-15623

アメリカ海軍 第473737号

SC-473737 1945年9月 

件名

キャプション

海軍カメラマンが広島での原爆による被害と廃墟を撮影。

看護助手と母親が銀行ビルの間に合わせの病院で被害者に手当をする。

撮影地:日本、広島

撮影者:Miller, Wayne, lt.

現地番号:TR 15623

分類:公開

2025年4月2日水曜日

アメリカ海軍のカメラマンが、日本の広島原子爆爆の爆風による廃墟と原爆犠牲者の集団墓地が撮影した。(1945年9月)

         非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473735 (TR-15621)アメリカ海軍省一般写真




























5621 US.Navy No, Copy Negative

473735 Sept.1945

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

MASS GRAVES FOR ATOM BLAST VICTIMS ARE SHOWN.

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15621

CLASSIFICATION: RELEASED


5621 アメリカ海軍 No, コピー・ネガ

473735 1945年9月

件名

キャプション

海軍のカメラマンが日本の広島における原爆の爆風による苦しみと廃墟を撮影している。

原爆犠牲者の集団墓地が写っている。

撮影地:日本、広島

撮影者:ミラー、ウェイン、LT. 

ローカルナンバー:TR 15621

分類:リリース


2025年4月1日火曜日

1945年9月8日に、広島原子爆弾に被爆して犠牲となってハエに覆われた老女が、広島勧業信用金庫の仮設病院のフロアに横たわった。(1945年9月)

          非公開の日本原爆被爆者の写真

マンハッタン管区(MED)海軍調査団

ーアメリカ海軍航空写真部隊

アメリカ国立公文書館

(The National Archives College Park, Maryland) 

80-G-473734 (TR-15620)アメリカ海軍省一般写真

















473734 Sept. 1945

SUBJECT:

CAPTION:

NAVY PHOTOGRAPHER PICTURES SUFFERING AND RUINS THAT RESULTED FROM ATOM BOMB BLAST IN HIROSHIMA, JAPAN.

OLD WOMAN, VICTIM OF ATOM BLAST, LIES IN HOSPITAL IN HIROSHIMA BANK (KANGO GINKO).

LOCATION: HIROSHIMA, JAPAN

PHOTOGRAPHER: MILLER, WAYNE, LT. 

TAKEN BY (UNIT)

LOCAL NO: TR 15620

CLASSIFICATION: RELEASED


473734 1945年9月

件名

キャプション

海軍カメラマンは、広島での原爆の被害と廃墟を撮影した。

原爆の犠牲者である老女は、広島勧業銀行広島支店の仮設病院に横たわった。

撮影地:日本、広島

撮影者:ミラー、ウェイン、LT. 

ローカルナンバー:TR 15620

分類:リリース


追記: 1945年9月8日に、広島原子爆弾に被爆して犠牲となってハエに覆われた老女が、広島勧業信用金庫の仮設病院のフロアに横たわった。1945年8月6日、アメリカの爆撃機エノラ・ゲイは、人口約30万人の広島にリトルボーイと名付けられた原子爆弾を投下した。その威力はTNT火薬2万トンを上回った。アメリカの統計によれば、原爆によって6万人から7万人が死亡した。その他の統計によると、1万人が発見されず、7万人以上が負傷した。都市の3分の2近くが破壊された。

2024年12月10日火曜日

ノーベル平和賞受賞演説 日本被団協代表委員 田中熙巳 於ノルウェー・オスロ 2024年12月10日

 ノーベル講演

2024年ノーベル平和賞受賞者

日本被団協   田中熙巳氏による講演

ノルウェー・オスロ、2024年12月10日

ノーベル平和賞受賞演説 日本被団協代表委員 田中熙巳 

於ノルウェー・オスロ 2024年12月10日

1

国王・王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会のみなさん、ご列席のみなさん、核兵器廃絶をめざしてたたかう世界の友人のみなさん、

ただいまご紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人の田中熙巳でございます。本日は受賞者「日日本被団協 を代表してあいさつをする機会を頂きありがとうございます。

私たちは1956年8月に日原水爆被害者団体協議会 (日本被団協)を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「日戦争の被害は国民が受忍しなければならない との主張に抗い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動です。

この運動は「日核のタブー の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として12000発の核弾頭が地球上に存在し、4000発が即座に発射可能に配備がされているなかで、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「日核のタブー が崩されようとしていることに限りない口惜しさと怒りを覚えます。

私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました.

1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕し2階から階下にかけおりました。目と耳をふさいで

2

伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けて行きました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが一枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。

長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた二人の伯母の家族の安否を尋ねて訪れた時です。わたしと母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろして愕然としました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃墟が広がっていました。煉瓦造りで東洋一を誇った大きな教会「・上上主主 は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。

麓に降りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されている沢山の人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。

一人の伯母は爆心地から400mの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体とともに黒焦げの姿で転がっていました。

もう一人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘にふしました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。

その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当も受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。

長崎原爆は上空600メートルで爆発。放出したエネルギーの50パーセントは衝撃波として家屋を押しつぶし、35パーセントは熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋のいたるところで発火しました。多くの人が家屋に押しつぶされ焼き殺されました。残りの15パーセントは中性子線やγ線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因を作りました。

その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被ばくし生存していた人は40万人あまりと推定されます。

生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の十年余を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。

3

1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が日死の灰 に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被ばくして急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原の火のように日本中に広がったのです。3000万を超える署名に結実し、1955年8月日原水爆禁止世界大会 が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日日日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協) が結成されました。

結成宣言で「日自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう との決意を表明し、日核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償 を求めて運動に立ち上がったのです。

運動の結果、1957年に「日原子爆弾被爆者の医療に関する法律 が制定されます。しかし、その内容は、「日被爆者健康手帳 を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。

1968年日原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律 が制定され、数種類の手当てを給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。

1985年、日本被団協は日原爆被害者調査 を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。

1994年12月、2法を合体した「日原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律 が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。

これらの法律は、長い間、国籍に関わらず海外在住の原爆被害者に対し、適応されていませんでした。日本で被爆して母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました。それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は裁判で、あるときは共同行動などを通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになりました。

4

私たちは、核兵器のすみやかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。

1977年国連NGOの主催で「日被爆の実相と被爆者の実情 に関する国際シンポジウムが日本で開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。このころ、ヨーロッパに核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開催され、これら集会での証言の依頼などもつづきました。

1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。

核兵器不拡散条約の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、あわせて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。

2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が日核兵器の人道的影響に関する会議 の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受けとめられ日核兵器禁止条約 交渉会議に発展しました。

2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた日核兵器の禁止「・廃絶を求める国際署名 は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122か国の賛同をえて日核兵器禁止条約 が制定されたことは大きな喜びです。

さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。

想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。

原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。

一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきた

5

日NPO法人・ノーモア「・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。

世界中のみなさん、日核兵器禁止条約 のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。

人類が核兵器で自滅することのないように!!

核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!

(4468文字)

著作権 © ノーベル財団、ストックホルム、2024年

























Artist: Marie Buskov Calligrapher: Christopher Haanes Bookbinder: Kristine Bekkevold / Merkur Grafisk AS Photo reproduction: Thomas Widerberg Copyright © The Nobel Foundation 2024


2024年10月10日木曜日

2024年のノーベル平和賞を「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が再び使用されてはならないことを証言によって示したこと」を理由に、日本被団協に授与することを2024年11月11日に公表しました。

 ノルウェー・ノーベル委員会

2024年のノーベル平和賞を「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が再び使用されてはならないことを証言によって示したこと」を理由に、日本被団協(日本原水爆被害者協議会, NIHON HIDANKYO)に授与することを2024年11月11日に公表しました。

 広島と長崎の被爆者による草の根運動、通称「ヒバクシャ」は、核兵器のない世界を実現するための努力と、二度と核兵器を使用してはならないことを証言によって示したことが評価され、ノーベル平和賞を受賞する。日本被団協をはじめとする被爆者代表の並々ならぬ努力は、核兵器の使用が決して許されないという「核のタブー」の確立に大きく貢献しました。

 日本被団協 ノーベル平和賞 2024 設立:1956年 受賞時の居住地:日本、東京

授賞理由:「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器は二度と使われてはならないことを証言で示したこと」 賞金:1/1

 証言を通じて、核兵器が二度と使われてはならないことを示したことに対して。

1945年8月に広島と長崎に投下された2発の米国の原子爆弾により、約12万人が死亡した。同数の人々が、やけどや放射線障害により後に死亡した。原爆投下から生き延びた人は65万人と推定されている。これらの生存者は日本語で「被爆者」と呼ばれる。

被爆者の運命は長い間隠蔽され、無視されてきました。1956年、地元の被爆者団体と太平洋核実験の被害者が合同し、日本被団協(にほんひだんきょう)が結成されました。この草の根運動は、すぐに日本最大の被爆者団体となり、最も幅広い被爆者を代表する組織となりました。

 日本被団協には2つの主な目的があります。1つ目は、日本国外に住む被爆者も含む、すべての被爆者の社会権および経済権の促進です。2つ目は、被爆者が経験したような惨禍を二度と誰にも経験させないようにすることです。

日本被団協は、被爆者の証言を通じて、核兵器の使用がもたらす悲惨な人道的影響について広範な啓発活動を実施してきました。「ノーモア・ヒバクシャ」というモットーは、ここから来ています。


The Nobel Peace Prize 2024

A powerful international norm stigmatising nuclear weapons

 The grassroots movement of atomic bomb survivors from Hiroshima and Nagasaki, also known as Hibakusha, is receiving the Nobel Peace Prize for its efforts to achieve a world free of nuclear weapons and for demonstrating through witness testimony that nuclear weapons must never be used again. The extraordinary efforts of Nihon Hidankyo and other representatives of the Hibakusha have contributed greatly to the establishment of a nuclear taboo.

   The Norwegian Nobel Committee has decided to award the Nobel Peace Prize for 2024 to Nihon Hidankyo “for its efforts to achieve a world free of nuclear weapons and for demonstrating through witness testimony that nuclear weapons must never be used again”

Nihon Hidankyo

The Nobel Peace Prize 2024

Founded: 1956

Residence at the time of the award: Tokyo, Japan

   Prize motivation: “for its efforts to achieve a world free of nuclear weapons and for demonstrating through witness testimony that nuclear weapons must never be used again” Prize share: 1/1

   For demonstrating through witness testimony that nuclear weapons must never be used again.

  The two American atomic bombs that were dropped over Hiroshima and Nagasaki in August 1945 killed approximately 120 000 people. A comparable number died later of burn and radiation injuries. It is estimated that 650 000 people survived the attacks. These survivors are known as Hibakusha in Japanese.

 The fate of the survivors was long concealed and ignored. In 1956, local Hibakusha associations along with victims of nuclear weapons tests in the Pacific formed The Japan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organisations, shortened in Japanese to Nihon Hidankyo. This grassroots movement soon became the largest and most widely representative Hibakusha organisation in Japan.

  Nihon Hidankyo has two main objectives. The first is to promote the social and economic rights of all Hibakusha, including those living outside Japan. The second is to ensure that no one ever again is subjected to the catastrophe that befell the Hibakusha.

  Through personal witness statements, Nihon Hidankyo has carried out extensive educational work on the catastrophic humanitarian consequences of the use of nuclear weapons. Hence the motto “No more Hibakusha”.